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平均?普通?平均な人間も普通の人間も存在しなかったりする。

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True North Life CoachingのNoriです。

今年のパースの夏は気温がとても低くてびっくりしている。

昔なら40越えの日も何度かあったが今年は35度を超えるが数えるくらいしかなく、少し異常気象なのかと地球温暖化のせいなのだろうか、と少し考えたりする。

現在アメリカから友達が訪ねてきていて、環境の話をしてみると、少し面白いなと思った。この人たちだけなのかもしれないけれど、私たちがソーラーパネルの話をしたら

アメリカには人類が200年暮らしていけるくらいのエネルギー源があるから大丈夫なのさ

とおっしゃる。

いや、汚染とか気にならないの?

と思わないこともないが、食べるものも生活費もオーストラリアよりも断然安いらしく、でもシカゴの大都会に住む彼らからしたら海の近くに住むとか今まで経験したことがないと言っていた。

どこに行くのもお金の話ばかり。

なんだろう、虚しくなってきた。お金のあるなしで幸せが決まるのなら私は絶対幸せじゃないけれど、実際問題お金なんか物々交換のためのツールであり、幸せは買うことなんてできない。私は金持ちでは全然ないが絶対幸せだと言い切れるな、と考えさせられるとても良い機会であった。

さて、、、今日のお話は平均的な人間とは果たして存在するのか、というお題である。

平均の始まり

平均とはよく日本陣に好かれるトピックであろう。

平均体重、平均偏差値、平均年収など、自分がほかの人と比べてどれくらい上か下か、という目安ポイントして使われていることが多いがいったい平均が何を意味するのか、なんて考えたことはあるだろうか。

平均のコンセプトは18世紀に天才と呼ばれたAdolphe Quetelet(アドロフ ケドレー)によって生み出されたとされている。

ケドレー曰く

平均とは最高であり、平均から離れれば離れるほど異常だ

などという当時はセンセーショナルなステイトメントを出し、彼のおかげで健康のバロメーターであるBMIやそのほかの値が生み出されたといえるだろう。

実際当時は体系から学歴まで平均が素晴らしい、とみなされたようだが。。。面白いもんだ。

この平均の話は、The End of Average という本を読んで考えさせられたものだが、実際考えてれば考えるほど面白いもんだ。これは私の大好きな本、Start with Whyと当てはまるところがありすぎて、本当に大好きな本だといえよう。

日本語版はこちらから。私は英語版で読んだがとても分かりやすいのでできるのなら英語で直接読んでいただきたい一冊である。

平均に当てはまる人

1950位の話か、アメリカ空軍が事故を減らそうと一生懸命事故の原因を考えたところ、飛行機を操縦する能力にも飛行機のエンジンにも問題はないということが分かった。

じゃあ飛行機のデザインが悪いのだ、と4000人のパイロットの身長から体重、胸囲、ウエスト、足の長さや手の長さなど、ありとあらゆるところを図り、平均したものを基準に操縦席をデザインすればきっとみんなにとって使いやすくなり事故も大幅に減るだろう、と考えた。

よく考えたらこれはとてもいい考え方だ。

平均の大好きな日本人には特にこの考え方はPERFECTだと思われるだろう。

平均=普通の人、という考え方といえるだろうか。

さて、問題です。

この平均値に当てはまる人が何人いるだろうか。

答えは

ゼロ

である。

その通り、

ゼロである。

つまり、4000人のありとあらゆる体のサイズを測り、その数値を平均してみても、その4000人でその平均にマッチする人は全くいなかった、という話だ。

平均な人などいない。平均は普通でもない。

そう、つまり平均な人なんて誰一人いない。

体のありとあらゆるところを測って平均してもすべての数字で平均に当てはまる人なんていない

この考え方はすべてに当てはまると言っても過言ではないだろう。

実はこの考え方は私がセルビアに行った時に出会った一人の女性からである。旦那の親戚である彼女に

Nori「お元気ですか?」

彼女「まあ平均かしら」

Nori「旦那さんはお元気ですか?」

彼女「まあ平均かしら」

Nori「お仕事は順調ですか?」

彼女「まあ普通かしら」

Nori「ご両親はいかがですか?」

彼女「まあ普通かしら」

Nori「お仕事はいかがですか?」

彼女「まあ普通かしら」

今までこんな人に出会ったことがないかった。これは今から7年前の出来事だが私には一大事件だった。

普通っていったい何?

と考えさせれる事件となった。

先ほども言ったが体のありとあらゆるところを計測しても絶対平均値に当てはまる人なんていないということが分かった。

つまり、

これは思考にだって言えること。すべてに言えること。

つまり、テストの点数を平均したって何がわかるっていうの?

誰かが何かを基準にして作った一枚のテスト。

もちろんいい点数を取ることに越したことはないが、平均以下だから、と言ってあほやという部類に押し込んでしまう必要はない。

平均=普通ではないし、普通っていったいなんなんだろう。

例えばマクドナルドに10人のお客様が来たとしよう。もちろん人気メニューや特売メニューはあるだろうが、10人とも同じメニューを頼むことがないだろう。

つまり、

人間とは一次元ではない。

仕事でも平均からの上下でお給料が決まることもあるだろう。

または一つの基準、例えば車の販売の仕事なら何台売ったか、で評価されるかもしれない。

例えばテレホンオペレーターなら一人のお客様に対して何分話したか、で評価されるかもしれないし、

会計士ならミスの数で評価されるかもしれない。

とあるコンサルさんは自分の生徒さんの平均PVを出すことで自分の価値観をアピールすることができるかもしれない。

だけど、よく考えてみてほしい。もちろんこれは無駄な努力だ、とは言わないが、一つの側面でしかものを見ていないわけでこれだけを基準に物事を見てしまうのはどうだろうか。

それだったら大学の偏差値の良さで就職も決まってしまうだろう。

でも本当にそれがすべての仕事に当てはまるのだろうか?

一つのことにフォーカスしてそれの平均以上が良い、と考えるのは悪いとは思わないが、これが必ずしも正しい結果になるとは言い切れない。

例えば車の販売のお仕事で車の販売台数が一番だったとしても、部下をコーチングできない人は上司になっても100%の結果が出せるとは限らないし、

テレホンオペレーターが平均以下の時間で電話を切ることに専念しても、サービスの質の向上につながるかはわからない

そう、私たち人間を一次元で評価することには無理がありすぎるのだ。

それなのに私たちは平均より上だと

私は人から認められているんだ、というわけのわからない自己満足

に陥る。

平均より低ければ、

私なんてどうせ、、、、

とドラマクィーンに陥るか、

または

こんな世の中が悪いんだ、

と訳の分からない開き直りをしたり。。。

でもよく考えてみれば平均なんてその集合体の母体を変えるだけで数字は変わってくるし、あってないようなものだといえばそういえるだろう。

マルチな次元をすべて平均してもそれに当てはまる人などいない

上記で一次元で平均以上を評価することの意味のなささを指摘したが、これをマルチ次元ですべての側面で平均を出してしたとしてもすべての面でドンピシャする人はまぁあり得ないだろう。

18世紀ケトレーは平均こそ素晴らしく、平均から離れれば離れるほど異常者になっていく、と語っているが、それがいかに意味不明なテオリーかがわかっていただけただろうか。

もちろん、このおかげでBody Mass Index( BMI )など健康診断基準が生まれたのは紛れもない事実だし、健康標準値は現代医学でも役に立っているのはご存知のところであろう。確かにこのBMIの健康基準の体重に当てはまる人は比較的成人病にかかりにくくいという研究結果も多数出ており、もちろん、BMIが健康基準値以内であってももちろん病気の可能性は完全に振り切れないとはいえど、やっぱり予防という意味ではとても素晴らしい数字だといえよう。

だが、思考や宗教、夢、マネージメントの仕方、働き方、などをすべて平均し、平均がすべて!という考え方をするとどうなるだろうか?

少数民族が悪いのか?

少数派の宗教が悪いのか?

住んでる人口の多い国が世界的に素晴らしい国なのか?

っていうか何がどれをどんな基準で見たときに普通といえるのか。

こう考えてみてもこの平均額のおかしさが見抜けるだろう。

私たちの誰一人が平均的な思考を持ち、平均的な宗教を信じ、平均的な結婚生活を送り、平均的な給料をもらう。

なんていう生活を送ることはまずないだろう。

そう、平均なんてただ決まった母体から集めた数字を足して人数分で割ったものでしかない。

一人一人が特別な存在である

私たちは一人一人が素晴らしい特別な存在であり、すべての次元をできる限り調査し、平均をふるいだしてもそのすべての数字に当てはまる人なんていない。

そう、人間には誰がすごくて誰がへちょいか、なんて実はなくて。すべての人が素晴らしくてすべての人が天才で、すべての人がクレイジーだといっても過言ではないだろう。

そう、誰一人同じ存在などない。

私たち一人一人が本当は奇跡の一瞬でできた賜物であり、誰一人すべての項目で平均を満たすものなんていない。

誰一人普通の人なんていないし、普通っていったいなんなんだろう。

あなたも素晴らしい賜物であり、私だって違う意味で最上級なんだ。

社会や習慣、文化による圧力みたいなものもあるだろう。

平均、普通とかいう言葉でひっくるめちゃえば楽だろう。

だけど、、、、

一人一人好きな食べ物が違うように、靴のサイズが違うように、髪の色が違うように、好きな女性のタイプが違うように、

私たち一人一人は全く違う生き物で、それを一次元でひっくるめて普通だとか、平均値だとか、おかしい。

まとめ:平均な人なんていないし、普通なんてない。

結局平均体重にこだわって、平均年収にこだわって、平均な家に住んで平均な車を買って、平均といわれる貯金を目指して、平均を満たしている人と結婚して、、、、、、、、、、、

そんな人生もあなたの勝手だが、無難な生き方をして、打たれない杭になって、、、、一体何が楽しいねん!というのが私の見解だ。

平均という人の引いてくれたレールを目指して歩いて、普通と言われる生き方を目指したらもしかしたら50%の幸せ、つまり平均的な幸せがもしかしたら受け取れるのかもしれないが、人生ってそういうもんなのだろうか。

自分の家族でさえ全く違う個性で、食べ物の好き嫌いだって違うってくるだろうし、それで普通や平均を求めて生きるなんてどれほど意味がないかがお分かりいただけると思う。

私たちは100人いれば100通りの生き方がある。だから人間の人生って面白いんだ。

100人いれば100通りの考え方がある。だから学びは一生止まらないんだ。

そう、違いはいいものだし、自分の人生は自分でしか生きられないんだから、自分らしく自分色で染めてしまっていいじゃないか。

自分が生きやすい体系でいいじゃないか。全員がスーパーモデル目指さなくてもいいじゃないか。

全員が偏差値75目指さなくてもいいじゃないか。

全員が一流会社目指さなくてもいいじゃないか。

画家として生きてもいいし、一流会社のコンサルになってもいいし、お母さんとして未来のヒーローを育ててもいいし、モデルになって生きてもいいし、歌手になってもいいし、ブロガーになってもいいし。

どの職業が良くてどの職業が悪いなんて一切ない。

お給料が良ければ人間の価値が上がる、なんてこともない。

いかに自分の生きがいを見つけ、自分らしく人生を満喫する、が訳の分からない、一次元のデータを基にした平均を超えることより大事だと思う。

自分らしさ、大事にしよう。

大阪出身、オーストラリア在住、オーストラリア国籍を持つ。 True North Life Coaching代表。 19歳でいきなり思い立ったオーストラリア短期留学のはずがそのまま永住。 英語力ゼロ、貯金ゼロ、友達ゼロ、住むところゼロからスタートしたオーストラリア生活だが、学費のためになんとかフルライムで働きながら大学に通い、国際政治学を専攻、3年制大学を2年で卒業。 公務員、ビジネスコンサルタントを経て、出産を機にコーチングに転機。 自分の経験と、あの世界トップのコーチ、トニーロビンズの弟子から習ったライフコーチングメソッドを活かし、True North Life Coachingを設立。 コーチングを通じて多くの人に自分の肌で夢をかなえる楽しさを実感してもらいたい、最高の自分を更新し続けてもらいたい、というコンセプトでTrue North Life Coachingを設立。
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